ビジョンが欲しい

先日、とある会合のとある議題についての話の場があった。
そのメンバーにはその会のオーナーも参加するため、そういう人たちの想いが聞ける(そういうものを議題にする場だった)だろうと思い参加したが、すべて他人事で決める事ができる人自ら「難しい問題だ」を連発。事前にオーナーはそういう人と言うものを聞いていたので、それを確認することができたのはプラスだったが…。とは言え、その立場で本当に本心からそう思っているのか確認したかったので、回りくどい聞き方をして確認してみたら、まさしくその通りだった。
これで自分の中での格付けが完了したのでそれはそれで良かったが…、常に感じていた疑問の源泉がこれだと言うのがよく分かった。表現が難しいが、熱いハートが欲しい場面で学術的な正確さを求めてしまうと言うところか?対象が人間の行動であり、調査もろくにしていない状態で正確さを求めているから、答えからしてそもそもおかしい。
どういう風土でこういうものが出来上がったのかは知らないが、病巣がそこにあり、それが染み付いているので完全に「手遅れ」感が半端なかった。
なぜ、もっと簡単にならないのか?なぜ、日本語にできないのか?なぜ、もっと下品にできないのか?なぜ、もっとケバケバしくできないのか?こういう時は玉虫色の対応をしていると傷が広がるので、色を決めなければならない。
もっとも、話の途中では「色」を決めていたのだが、その話の10分後にはすべてが玉虫色になっていた。
自分がそういう立場になることは、外様なので恐らく無いだろう。無いだろうが、自分の研究の対象としてこれからいろいろ観察と実践をしていきたい。